1.柳田民俗学の「もう一つの流れ」
第3回では、柳田國男 を中心に、日本民俗学の成立と「常民」の思想を概観した。柳田が生活史的・実証的に民俗を捉えたのに対し、同時代にまったく異なる角度から日本文化の深層に迫った人物がいる。それが 折口信夫 である。
折口は民俗学者であると同時に、国文学者、詩人(釈迢空)でもあった。その学問は、単なる資料収集ではなく、古代歌謡・神話・祭祀の象徴構造を読み解く思想的営為であった。
本稿では、折口の宗教民俗学の核心概念である「まれびと」論を軸に、その学問的意義と影響を詳述する。
2.折口信夫の問題意識 ― 文学と宗教の交差
折口は国文学研究から出発した。『万葉集』や古代歌謡の研究を通じて、彼は日本語の中に潜む宗教的感性を読み取ろうとした。
彼の問いはこうである。
日本人はどのように神を迎え、どのように死者を送り、どのように言葉によって世界を構成してきたのか。
柳田が「生活」を起点にしたのに対し、折口は「言葉」と「儀礼」を起点にした。
3.「まれびと」論とは何か
折口の代表的概念が「まれびと」である。
まれびととは、外部から来訪する神的存在を指す。祭礼において村に訪れる神、漂着する客人、異界から帰還する祖霊などがそれに当たる。
折口は、古代社会では外来者は恐れと敬意をもって迎えられ、祝福や豊穣をもたらす存在と考えられていたと論じた。
この構造は、沖縄の来訪神行事や各地の年中行事に見られる。
まれびとは「異界」と「共同体」を結ぶ媒介者であり、社会の更新を象徴する存在なのである。
4.宗教民俗学という視座
折口は民俗を単なる生活習慣ではなく、宗教的世界観の表現と見なした。
彼の研究は以下の領域に及ぶ。
- 神道祭祀の研究
- 古代歌謡の宗教的解釈
- 芸能の起源論
- 祖霊信仰
たとえば彼は、芸能は神を迎える儀礼から生まれたと考えた。祝詞や歌謡は神への呼びかけであり、芸能は神事の延長である。
この視点は、日本芸能史研究にも大きな影響を与えた。
5.折口と構造的思考
折口の理論は、後に構造主義と親和性を持つと評価されることがある。
フランスの クロード・レヴィ=ストロース が神話を二項対立構造として分析したように、折口もまた、内と外、生と死、聖と俗といった対立構造に着目していた。
ただし折口の方法は、西欧の理論輸入ではなく、日本古典の精読から生まれた独自の思想である。
6.柳田との相違と緊張関係
柳田と折口は協力関係にありながら、学問的姿勢は大きく異なった。
| 柳田國男 | 折口信夫 |
|---|---|
| 実証的・資料主義 | 解釈的・象徴主義 |
| 生活史重視 | 宗教象徴重視 |
| 常民概念 | まれびと概念 |
| 全国比較 | 古代回帰 |
柳田は伝承を事実として記録したが、折口はその象徴的意味を読み解いた。
この違いは、日本民俗学の二重構造を形成した。
7.死者と祖霊の思想
折口は祖霊信仰にも強い関心を持った。死者は消滅するのではなく、祖霊となり共同体を守護する存在になると考えられてきた。
彼は、日本文化における死の観念を、「帰還する存在」という視点から解釈した。
この考えは、のちの宗教民俗学や死生観研究に大きな影響を与えた。
8.芸能論と口承文芸
折口は芸能の起源を宗教儀礼に求めた。
能楽や民俗芸能の背後には、神を迎える構造があると考えたのである。
この発想は、日本文化を一貫した宗教的構造の中で理解する試みであった。
9.批判と再評価
折口理論は象徴的解釈に依拠するため、実証性に欠けるという批判もある。
また、古代中心主義的傾向が強いという指摘もある。
しかし彼の思想は、日本文化を宗教的象徴体系として捉える視座を提示し、後の文化研究や文学研究に深い影響を与えた。
10.宗教民俗学の現代的意義
現代社会では宗教的儀礼が衰退しているように見えるが、実際には形を変えて存続している。
都市祭礼、サブカルチャー的儀礼、アイドル文化の「巡礼」なども、来訪神的構造を持つと分析できる。
折口のまれびと論は、現代文化を読み解く鍵ともなりうる。
11.折口信夫の思想的遺産
折口は文学と民俗学を横断する学問を構築した。その思想は単なる民俗資料の解釈を超え、日本文化論へと拡張された。
彼の業績は、日本民俗学の理論的深化に大きく寄与した。
12.まとめ ― 日本民俗学の二本柱
日本民俗学は、
- 柳田國男 の生活史的民俗学
- 折口信夫 の宗教象徴的民俗学
という二本柱によって成立した。
柳田が「地上の生活」を記録したのに対し、折口は「精神の深層」を読み解いた。
この二つの流れは、戦後民俗学の発展に大きな影響を与える。
次回は、物語研究と構造主義の導入を中心に、日本民俗学がどのように理論的展開を遂げたのかを検討する。
