1.なぜいま民俗学なのか

民俗学とは何か、と問われたとき、多くの人は「昔話や伝承を研究する学問」というイメージを抱くかもしれない。しかし、実際の民俗学はそれよりもはるかに広く、人びとの生活世界そのものを対象とする学問である。

民俗学は、文字に記録されにくかった「日常」の知識や実践を掘り起こし、それらが社会や歴史の中でどのような意味を持ってきたのかを考察する。そこでは、宗教儀礼、祭り、家族制度、口承文芸、衣食住、労働、信仰、死生観、さらには都市のサブカルチャーやインターネット文化に至るまでが研究対象となる。

本連載では全8回を通して、民俗学の成立史、主要学派、代表的研究者、記念碑的業績、そして関連する学問分野との関係を体系的に整理する。第1回では、民俗学の成立背景と学問的輪郭を概観する。


2.民俗学の成立 ― 19世紀ヨーロッパから日本へ

民俗学の原型は19世紀ヨーロッパに遡る。近代国家形成の過程で、「国民とは何か」という問いが生まれたとき、知識人たちは農村に残る伝承や習俗の中に民族の原像を見いだそうとした。

英語の “folklore” という語を1846年に提唱したのは、イギリスの研究者 ウィリアム・ジョン・トムズ である。彼は、それまで「popular antiquities」と呼ばれていた民間伝承研究を「folk(民衆)」+「lore(知識)」と定義した。

ドイツでは、ロマン主義の思想的潮流の中で、兄弟である ヤーコプ・グリム と ヴィルヘルム・グリム が『グリム童話』を編纂し、言語学・神話学と民間伝承研究を結びつけた。彼らの研究は単なる童話収集ではなく、民族精神(Volksgeist)を探る試みであった。

このように、民俗学はナショナリズム、ロマン主義、比較言語学と密接に関連しながら成立したのである。


3.人類学・社会学との交差

民俗学は、文化人類学や社会学とも深く関係する。

例えば、イギリスの文化人類学者 ジェームズ・フレイザー は『金枝篇』において、呪術から宗教、科学への進化という理論を提示した。彼の比較宗教学的手法は民俗資料を大量に引用し、後の民俗学にも影響を与えた。

一方、フランスでは社会学者 エミール・デュルケーム が宗教を社会統合の機能として捉え、儀礼や集団表象の分析を行った。儀礼研究はその後の民俗学にも大きな影響を与える。

つまり民俗学は、「民族の精神を探る学問」として出発しながら、やがて文化の社会的機能や構造を分析する学問へと展開していったのである。


4.日本民俗学の成立 ― 近代国家と郷土

日本における民俗学の成立は明治末から大正期にかけてである。その中心人物が 柳田國男 である。

柳田は『遠野物語』(1910年)を刊行し、東北地方に伝わる怪異譚や伝承を記録した。これは日本民俗学の出発点とされる記念碑的著作である。柳田は農村に残る伝承や信仰の中に、日本人の精神史を見ようとした。

彼は「常民」という概念を提唱し、歴史の主役を政治権力者ではなく、名もなき民衆に求めた。この視点は、それまでの文献中心の歴史学とは一線を画すものであった。

柳田に続き、 折口信夫 が「まれびと」論や「神道芸能論」を展開し、宗教学や文学研究とも交差する独自の民俗学を構築した。

ここに、日本民俗学の二大潮流が生まれる。柳田の実証的・民衆史的民俗学と、折口の象徴的・神話学的民俗学である。


5.民俗学の方法論 ― 調査と記録

民俗学の最大の特徴はフィールドワークである。聞き取り調査、参与観察、資料収集を通して、生活の現場から知識を得る。

柳田は「一国民俗学」を唱え、日本全体の民俗を体系化しようとした。そのために全国規模の調査ネットワークを構築し、地方研究者との連携を図った。この方法は後の民俗調査の基盤となる。

一方、戦後には構造主義の影響を受け、神話や昔話の構造分析も行われるようになる。ロシアの ウラジーミル・プロップ による『昔話の形態学』は、物語の機能分析という方法論を提示し、世界的影響を与えた。

方法論の多様化は、民俗学を単なる資料収集の学問から理論的分析を伴う学問へと発展させた。


6.民俗学の学派と展開(概観)

今後の連載で詳述するが、民俗学には大きく以下の潮流が存在する。

  • 比較民俗学(ヨーロッパ)
  • 進化主義的民俗学
  • 機能主義的アプローチ
  • 構造主義民俗学
  • 日本民俗学(柳田学派・折口学派)
  • 都市民俗学
  • 現代民俗学(ポピュラー文化研究)

例えば、フランスの クロード・レヴィ=ストロース は神話の構造分析を通して、文化の深層構造を解明しようとした。彼の理論は民俗学にも大きな影響を与えた。

現代では、アニメや都市伝説、インターネット・ミームも研究対象となっており、民俗学は「伝統」だけでなく「現在」を扱う学問へと広がっている。


7.民俗学と他分野との関連

民俗学は以下の学問と密接に関連する。

  • 歴史学(とくに社会史・生活史)
  • 文化人類学
  • 宗教学
  • 文学研究
  • 社会学
  • 民族学
  • 地理学
  • 民族音楽学

例えば祭礼研究では、宗教学的解釈と社会学的機能分析が交差する。口承文芸研究では文学研究と結びつく。さらに近年では観光学や地域政策とも関連する。

民俗学は境界領域的学問であり、他分野との対話なしには成立しない。


8.民俗学の意義 ― 記憶とアイデンティティ

グローバル化と都市化が進む現代社会において、地域文化や伝統は急速に変容している。民俗学は、単に過去を保存する学問ではなく、変化のプロセスを記録し、文化の再構築を支える役割を担う。

また、民俗学は「周縁」に光を当てる学問でもある。国家や制度の外側に置かれてきた人びとの声を拾い上げることで、社会の多様性を可視化する。


9.本連載の構成(予告)

今後の回では、以下のテーマを扱う予定である。

第2回 ヨーロッパ民俗学の形成と理論
第3回 日本民俗学の成立と柳田学
第4回 折口信夫と宗教民俗学
第5回 構造主義と物語研究
第6回 戦後民俗学と都市民俗
第7回 記念碑的研究の精読(遠野物語ほか)
第8回 現代民俗学の課題と未来


10.結び

民俗学は、目に見えない「生活の知」を記録し、そこから社会と人間を理解しようとする学問である。その対象は過去にとどまらず、現在進行形の文化現象にまで及ぶ。

本連載では、学派・理論・方法・記念碑的研究を体系的に整理しながら、民俗学の全体像を描いていく。次回はヨーロッパ民俗学の理論的展開を詳しく取り上げる。